
ふんどしマン
激辛カレーと激甘カレーを一緒に食べるとどうなるのか?ふんどしソクラテスが初登場とともに検証する。
2017.06.26
弁証法を振りかざす新インターン、ふんどしソクラテス登場
「カレー」。
それは、文明開化の掛け声とともに早々と日本に上陸した洋食。
激動の明治維新に伴いカレーの黎明期は幕を開けた。
カレーと共にやってきた外国人たちが驚いたものの一つに”ふんどしでお尻を丸出しにして街を歩いている男の姿”だったという。
この声に、時の権力者が、「裸で街を歩くな!」とお触れを出したことで「ふんどしは下品でみっともない」といった風潮がだんだんと芽生えはじめる。
そして70年後、太平洋戦争で敗れた後、ふんどし文化は廃れることになってしまった。
しかし、今や22世紀型ふんどし企業の「ふんどし部」によってその文化が再興しようとしている・・・・。
初めまして、ふんどしソクラテスです。
某○大学の医学部で実習生をしています。
医学生とふんどしってなんか繋がりが深いんですかね、連続ですみません、医学部のふんどし部インターン生です。
丸メガネです。
突然ですが、皆さんは”弁証法"や"アウフヘーベン"という言葉を友達と使う時に困っていませんか?
ありますよね。
実際私もこの前こんな会話をしてきました。
「お前の食べているポップコーンさ、どーーーーーーーー弁証法的に考えてもおかしいって。だって紫色なんだよ」
「そんな小さなこと気にすんなって!とりあえず今日はぶち上げつつアウフヘーベンしようぜ!!」
こんな風に適当に使っていませんか?
それでは社会人失格!ということで簡単に説明したいと思います。
ヘーゲルの弁証法とは以下のようなものです。(今さら聞けない弁証法の基礎から引用)
モノ(事物)やコト(命題)が「否定」を通じて、新たな・より高次のモノやコトへと再生成されるというプロセスを、「正(テーゼ)」「反(アンチテーゼ)」「合(ジンテーゼ)」という言葉を用いて説明します。
ここで、「美しい花が実を残す」という現象を例にとってそのプロセスをさらに解説しましょう。
花は、いつまでもその美しい姿を保ち続けることはできず、必ず枯れてしまいます。この「枯れる」という現象を言い換えてみれば、「美しい花(正)」が「美しい花でないもの(反)」という否定形の状態になるということ。このように、ヘーゲルは「一つの事物・命題には必ずそれ自身の否定が含まれる」ということを指摘したのです。
しかし、枯れた花は実を残します。「花はいつか枯れる」という否定のプロセス、つまり、「美しい花」は「美しい花ではないもの」でもありうる、という事物に内在する対立が、「実(合)」として次世代に残されるわけです。
「正」「反」の対立関係から、より高次の「合(ジンテーゼ)」が導かれることを、ヘーゲルは「アウフヘーベン」という言葉を用いて説明します。以下では、その「アウフヘーベン」についてさらに詳しく解説することにしましょう。
「アウフヘーベン」というドイツ語は、「止揚(しよう)」または「揚棄(ようき)」と訳されます。「止めて、揚げる」「棄てて、揚げる」とこれらの熟語を読み下せばわかる通り、対立し合う二物の関係を1つ上の次元へと引き揚げるということがその大枠の意味になります。
「花は枯れて実を残す」、つまり、「花は、自身が花であることを否定して実を残す」というように、否定を通じて新たな事物を生み出し、より高次の状態へと導かれることがアウフヘーベンであると考えれば、その醍醐味とは「正」「反」を調停するものとして「より良いもの(合)」が現れることにあたります。
簡単に言うと、何かしらの物と、正反対の物、それらがぶつかり合うと新しい物ができちゃう!ファンタスティック!!と言う事です。
他の例を挙げてみましょう。
「僕はカレーが大好き!カレーを食べないと世界の中心で愛を叫んじゃうの!!」
「でも辛口はいや。カレーって分からないほど甘いのがいい♡」
この場合はどうでしょうか?
カレーは程度の差はあるものの必ず「辛いもの」です。
カレーが自分の持ち味である辛さを否定して新たな料理になること。これは、アウフヘーベンと言えるのではないでしょうか?
そして、より高次のジンテーゼであるカレーとはいえない新しい料理はどのような味なのでしょうか。気になります。
初登場で恐縮ですが、今回は「辛いカレー」と「甘いカレー」のジンテーゼである、「カレーという次元を超えた別の何か」がどんなものであるのかを検証したいと思います。
CoCo壱番屋で検証!「5辛」のカレーと「5甘」のカレーを同時に食べるとどうアウフヘーベンするのか?
ということで、先輩のふんどしやさしいマンさんと一緒に、「ココイチ」でおなじみのカレーハウスCoCo壱番屋四谷三丁目店へやってきました。
5辛カレーと5甘カレーを同時に食べることによって、アウフヘーベンしてみようと思います。

メニューから5辛カレーと5甘カレーを選びます。
まずは仮説を立ててみる。
実験を検証する場合、予め仮説を立てるということが必要だと思われます。
おそらくこのうちの4パターンに集約されるでしょう。
- 辛いのと甘いのが中和して、普通の辛さになる。
- なんだかんだ辛い
- なんだかんだ実は甘い
- カレーではない何かが生まれる。
一つずつ解説していきます。
① 辛いのと甘いのが中和して、普通の辛さになる。
まあ普通に考えるならこれです。
辛さと甘さが打ち消しあって普通の美味しいカレーに戻るという。
と、思ったみなさんはまだまだ考察が甘いです。
理科で「中和」という化学反応を習ったときのことを思いだしてください。
よく反応式を見てみると気づくことがあります。
例えば、塩酸と水酸化ナトリウムを混ぜる反応式。
HCl + NaOH → H2O(水)+ NaCl(食塩)
何の変哲もない中和式ですが、これがカレーにも起こるとすると・・
カレーの辛い成分 + カレーの甘い成分 → 水 + 食塩
つまり、辛さと甘さが打ち消されて何も消えて無くなるということはなく、水と塩が生成してしまうのです。
カレーのドロドロは違う元素で構成されているため見かけ上はカレーですが、味はただの塩水。
つまり、食べた瞬間に口の中が海水で満たされると考えます。
② なんだかんだ辛い
あまりの辛さに、なんだかんだ甘さが勝ちきれないという。至極単純明快な結論ですね。
③ なんだかんだ実は甘い。
甘み成分が強すぎて、なんだかんだ最終的には甘い、という、至極単純明快な結論です。
要は調理側のさじ加減ですね。
④ カレーではない何かが生まれる。
これは先ほど説明したアウフヘーベンです。
より高次のジンテーゼである、カレーでない何かが生まれる可能性は大いにあります。
ココイチの5辛と5甘を同時に食べるとどうなるのか?実際に食べてみた。
それでは、実際に食べてみます。
皆さんはどちらが辛口、甘口かわかりますか?
みなさんから見て、左が5甘で右が5辛。
どろっと黒いのがかかっているのが5辛です。
まずは5辛を食べてみようと思います。
アァァァァァァァァぁぁぁぁぁ辛い。
3秒後に激痛が走ってきます。
続いて5甘を食べてみます。
甘〜〜〜〜〜〜〜〜い!!!!
駅構内にツバメが巣を作って、その真下の改札機を閉鎖しちゃう店員さんぐらい甘〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い!!
お次は、5辛と5甘を同時に食べてみます。
ついに本丸の1歩手前です。どうなるのでしょうか。
んん・・・・・???
左辛くて、右甘ぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜い!
顔の左半分(読者側から見て右)が顔を歪ませて、右半分が喜んでいる。
まさか辛いカレーを食べた方が辛く、甘いカレーを食べた方が甘いとは・・・。
誰も予想だにしない結果だ・・・。
4つの仮説をどれも覆してしまった。そんなバカな。
3時間かけて導き出した、カレーの方程式がいとも簡単に打ち崩されるとは・・・なんたる遺憾。
ついに決着!「辛いカレー」と「甘いカレー」を同時に食べると・・?
今回の検証の結果、つまりは次のようなことがわかりました。
結論:
5辛と5甘を同時に食べると、口の半分が辛くて半分が甘い!!!!
また一つ賢くなってしまいましたね。
今回はこれでおしまい、
と思ったら大間違い。
5辛カレーと5甘カレーを食べるだけでは飽き足らず、まだまだ検証を続けていきます。
5辛カレーに5甘トッピングをしたらどうなるのか?
実はココイチには、「5辛のカレー」や「5甘のカレー」だけでなく、「5辛のカレーに5甘のトッピング」という荒技も存在するのです。
こちらの方がダイレクトに両方の味を検証できると言えそうですね。
最初からこちらにすればよかった。
[voice icon="https://fundoshibu.com/wp-content/uploads/2017/06/fundoshi-socrates-face-normal.jpg" name="ふんどしソクラテス" type="l"]ふんどしやさしいマン先輩、追加注文しちゃっていいですかね?[/voice]
[voice icon="https://fundoshibu.com/wp-content/uploads/2017/04/fundoshigentleman-in-the-sea-face.jpg" name="やさしいマン先輩" type="r"]お、ついに伝説の5辛カレーの5甘トッピングか・・・。[/voice]

[voice icon="https://fundoshibu.com/wp-content/uploads/2017/06/fundoshi-socrates-face-normal.jpg" name="ふんどしソクラテス" type="l"]いや、とりあえずサラダ食べたくて・・・[/voice]
[voice icon="https://fundoshibu.com/wp-content/uploads/2017/04/fundoshigentleman-in-the-sea-face.jpg" name="やさしいマン先輩" type="r"]いやカレー頼んでよ。[/voice]
5辛の5甘トッピングで、アウフヘーベン!
これが5辛の5甘トッピングのカレー・・・気になるその味は。
早速食べてみたいと思います・・・。
[voice icon="https://fundoshibu.com/wp-content/uploads/2017/06/fundoshi-socrates-face-normal.jpg" name="ふんどしソクラテス" type="l"]ふんどしやさしいマンさん、食べる前にちょっといいですか。[/voice]
[voice icon="https://fundoshibu.com/wp-content/uploads/2017/04/fundoshigentleman-in-the-sea-face.jpg" name="やさしいマン先輩" type="r"]はい、なんでしょう? [/voice]
[voice icon="https://fundoshibu.com/wp-content/uploads/2017/06/fundoshi-socrates-face-normal.jpg" name="ふんどしソクラテス" type="l"]ヘーゲルの原理は自由なんです。[/voice]
[voice icon="https://fundoshibu.com/wp-content/uploads/2017/04/fundoshigentleman-in-the-sea-face.jpg" name="やさしいマン" type="r"]はい? (何言ってんだこいつ・・・)[/voice]
[voice icon="https://fundoshibu.com/wp-content/uploads/2017/06/fundoshi-socrates-face-normal.jpg" name="ふんどしソクラテス" type="l"]欲求を抑えることが自由の条件ではない。大事なのは、どの欲求が本当に「良い」ものか吟味し、理解した上で、自分にとっての「よさ」を他者と分かち合うことにあるんです。[/voice]
[voice icon="https://fundoshibu.com/wp-content/uploads/2017/04/fundoshigentleman-in-the-sea-face.jpg" name="やさしいマン" type="r"]はい。[/voice]
[voice icon="https://fundoshibu.com/wp-content/uploads/2017/06/fundoshi-socrates-face-normal.jpg" name="ふんどしソクラテス" type="l"]僕は辛口と甘口を超えた、通称ジンテーゼカレーを食べたいという欲求があるんです。それをやさしいマンさんと分かち合う、こんな嬉しいことは無いんですよ。自由は欲求の実現と、その承認を受けた時に初めて感じるんです。ところで、ふんどしやさしいマンさんは自由についてどうお考えでしょうか?[/voice]
[voice icon="https://fundoshibu.com/wp-content/uploads/2017/04/fundoshigentleman-in-the-sea-face.jpg" name="やさしいマン" type="r"]いいから早く食べて。ふんどし脱がすよ?[/voice]
[voice icon="https://fundoshibu.com/wp-content/uploads/2017/06/fundoshi-socrates-face-normal.jpg" name="ふんどしソクラテス" type="l"]食べます。脱がさないでください。[/voice]
[voice icon="https://fundoshibu.com/wp-content/uploads/2017/06/fundoshi-socrates-face-sweet.jpg" name="ふんどしソクラテス" type="l big"]あれ? 甘〜〜〜〜〜〜〜〜い!!![/voice]
[voice icon="https://fundoshibu.com/wp-content/uploads/2017/04/fundoshigentleman-in-the-sea-face.jpg" name="やさしいマン" type="r"]へえー!甘いんだ。[/voice]
[voice icon="https://fundoshibu.com/wp-content/uploads/2017/06/fundoshi-socrates-face-normal.jpg" name="ふんどしソクラテス" type="l"]甘いですね、はい。[/voice]
[voice icon="https://fundoshibu.com/wp-content/uploads/2017/04/fundoshigentleman-in-the-sea-face.jpg" name="やさしいマン" type="r"]そうなんだ、意外だね。[/voice]
[voice icon="https://fundoshibu.com/wp-content/uploads/2017/06/fundoshi-socrates-face-normal.jpg" name="ふんどしソクラテス" type="l"]それはそうと、ふんどしやさしいマン先輩。各人が自分にとっての「よさ」を掴み取り、それを他者と分かち合うことで自由を実感するためには何が必要だと思いますか?[/voice]
[voice icon="https://fundoshibu.com/wp-content/uploads/2017/04/fundoshigentleman-in-the-sea-face.jpg" name="やさしいマン" type="r"]ん?[/voice]
[voice icon="https://fundoshibu.com/wp-content/uploads/2017/06/fundoshi-socrates-face-normal.jpg" name="ふんどしソクラテス" type="l"]それは現実的条件、すなわち社会制度なんです。(カレーの2口目を頬張りながら)[/voice]
[voice icon="https://fundoshibu.com/wp-content/uploads/2017/06/fundoshi-socrates-face-normal.jpg" name="ふんどしソクラテス" type="l"]社会制度は、各人にとっての「よさ」を実現する実質的な条件でなければならないんですよ。確かにそこでは「万人にとっての幸福」という考え方は成立しない。[/voice]
[voice icon="https://fundoshibu.com/wp-content/uploads/2017/06/fundoshi-socrates-face-normal.jpg" name="ふんどしソクラテス" type="l"]十分に幸福な人もいれば、必ずしもそうでない人m辛っ。市民社会においては経済的な格差は避けられない。しかし、だからと行って市民社会を、、ゲホッゲホゥ、あっ、辛い。[/voice]
[voice icon="https://fundoshibu.com/wp-content/uploads/2017/06/fundoshi-socrates-face-hot.jpg" name="ふんどしソクラテス" type="l"]だからといって市民社会を否定するのは本末転倒です。市民社会は人間的欲求を根拠とし、アァァァァァァァァかっら!!!!んッッ。辛い!!!!!!!自由は、辛い!!!!![/voice]
[[voice icon="https://fundoshibu.com/wp-content/uploads/2017/06/fundoshi-socrates-face-hot.jpg" name="ふんどしソクラテス" type="l"]自由は、辛い!!!!![/voice]
[voice icon="https://fundoshibu.com/wp-content/uploads/2017/04/fundoshigentleman-in-the-sea-face.jpg" name="やさしいマン" type="r"]早く完食して。[/voice]
検証!ココイチで「5辛カレー」「5甘トッピング」をすると・・?
今回の検証の結果、つまりは次のようなことがわかりました。
結論:
5辛に5甘のトッピングをすると、甘さの後に辛さが来る!!!
と、いうわけでふんどしソクラテスの哲学的検証記事でした。
ちゃんと完食しました。市民社会に戻りましょう。
この後、私はお腹の調子が悪くてずっと寝込んでいました。
次の論証も宜しくお願いします。
ごきげんあそばせ。